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13.09.21.10:42.16.
第10号トンネルを抜けた所が、旧「熊の平」駅です

SLの時代、横川と軽井沢のほぼ中間地点のここ(当時は信号所)で
給水、給炭を行うために設置。また一部区間が単線だったため
上りと下り列車の行き違いも行われたそうです。

横川側から構内に入ったすぐの所にある「熊の平殉難」の碑

昭和25年6月、記録的な豪雨の中、10号トンネル付近で
大規模な土砂崩れが発生(人的被害は無し)
しかし、その翌日、復旧作業中に、再度の土砂崩れが発生。
復旧作業中の職員や熊ノ平駅にあった官舎に住んでいた、
その家族たち、合わせて50人が亡くなったそうです。

その後の捜索で、押しつぶされた官舎から乳飲み子とそれを抱く母親の
遺体が見つかり、この
幼子を抱いた母親の像が建立されたそうです・・・。


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13.09.21.10:43.03.

横川方面・・・
左側2つのトンネルが信越本線の新線
右のトンネルが、アプト式だった旧線の10号トンネル・・・

めがね橋で大分離れた所を走っていましたが
この熊の平で再び旧線と出会います。

この10号トンネルの出口で・・・

大正7年3月、この熊ノ平を出発し、軽井沢へ向かった(登る)
貨物列車が、第20号トンネル(26号が最終)付近で故障。
確認後、運転再開をすると、逆行を(坂を下り)始めて暴走。

ブレーキが効かないまま、熊の平駅構内に進入し、10号
トンネル側の壁面に激突、乗務員3人と駅係員1人が死亡、
乗務員4人が重軽傷という大事故が発生。

貨物列車は元の形が判らない程に粉砕・・・
急勾配でブレーキが効かない状況で乗車していた
乗務員の恐怖感、想像できません


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13.09.21.10:44.11.

駅に隣接した変電所・・・昭和時代に建設されたためか
保存の動きはなさそうです
建物の屋根上、鉄塔の上にまで樹木が伸びてしまっています


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2013.10.10