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新型肺炎の流行により外出自粛が続いています
先の箱根登山鉄道沿線の散策以降、趣味としての外出がなくなりました
拙ブログとしましても、過去ペースでの新たな記事の掲載が難しく
申し訳ありませんが、過去の散策記事を再掲載させて頂く事にしました
尚、数年前まで掲載写真のサイズが小ぶり(320*240)でしたので
再編集しまして、現在のサイズ(800*600)に揃える形にします
また文章も、現状に沿わない場合、変更しての掲載とさせて頂きます
第4弾は、季節感はずれますが、似通った気候だった
2013年9月21日の群馬県への日帰り散策です
・
サムネイル化した写真・地図をクリックして頂くと
大きめのサイズの写真が別に表示されます
文章内、〇〇は別写真等にリンクさせています
・
「碓氷峠界隈を散策」(再)のトップ記事はこちら
・
1973年の自転車旅行の時の話題は茶色の文字で
1996年の軽井沢から徒歩で下った時の話題は緑色の文字で
今回の散策の時の話題は、この文字色で綴ります
・
130921104650
「熊ノ平」駅から「軽井沢」方面を・・・トンネルが見えています
旧線は「11号トンネル」、新線下りは「4号トンネル」、新線上りは「3号トンネル」
それぞれ単線トンネルなので、番号が異なります
(新線下りは18本、新線上りは11本、旧線には26本のトンネルがありました)
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拙ブログとしましても、過去ペースでの新たな記事の掲載が難しく
申し訳ありませんが、過去の散策記事を再掲載させて頂く事にしました
尚、数年前まで掲載写真のサイズが小ぶり(320*240)でしたので
再編集しまして、現在のサイズ(800*600)に揃える形にします
また文章も、現状に沿わない場合、変更しての掲載とさせて頂きます
第4弾は、季節感はずれますが、似通った気候だった
2013年9月21日の群馬県への日帰り散策です
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サムネイル化した写真・地図をクリックして頂くと
大きめのサイズの写真が別に表示されます
文章内、〇〇は別写真等にリンクさせています
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「碓氷峠界隈を散策」(再)のトップ記事はこちら
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1973年の自転車旅行の時の話題は茶色の文字で
1996年の軽井沢から徒歩で下った時の話題は緑色の文字で
今回の散策の時の話題は、この文字色で綴ります
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「熊ノ平」駅から「軽井沢」方面を・・・トンネルが見えています
旧線は「11号トンネル」、新線下りは「4号トンネル」、新線上りは「3号トンネル」
それぞれ単線トンネルなので、番号が異なります
(新線下りは18本、新線上りは11本、旧線には26本のトンネルがありました)
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2020.05.27 ▲
新型肺炎の流行により外出自粛が続いています
先の箱根登山鉄道沿線の散策以降、趣味としての外出がなくなりました
拙ブログとしましても、過去ペースでの新たな記事の掲載が難しく
申し訳ありませんが、過去の散策記事を再掲載させて頂く事にしました
尚、数年前まで掲載写真のサイズが小ぶり(320*240)でしたので
再編集しまして、現在のサイズ(800*600)に揃える形にします
また文章も、現状に沿わない場合、変更しての掲載とさせて頂きます
第4弾は、季節感はずれますが、似通った気候だった
2013年9月21日の群馬県への日帰り散策です
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サムネイル化した写真・地図をクリックして頂くと
大きめのサイズの写真が別に表示されます
文章内、〇〇は別写真等にリンクさせています
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「碓氷峠界隈を散策」(再)のトップ記事はこちら
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1973年の自転車旅行の時の話題は茶色の文字で
1996年の軽井沢から徒歩で下った時の話題は緑色の文字で
今回の散策の時の話題は、この文字色で綴ります
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130921104216
「第10号トンネル」を抜けた所が、旧「熊の平」駅です
SLの時代、「横川」と「軽井沢」のほぼ中間地点のここ(当時は信号所)で
給水、給炭を行うために設置。また一部区間が単線だったため
上りと下り列車の行き違いも行われたそうです。
横川側から構内に入ったすぐの所にある「熊の平殉難」の碑
昭和25年6月、記録的な豪雨の中、10号トンネル付近で
大規模な土砂崩れが発生(人的被害は無し)
しかし、その翌日、復旧作業中に、再度の土砂崩れが発生。
復旧作業中の職員や熊ノ平駅にあった官舎に住んでいた、
その家族たち、合わせて50人が亡くなったそうです。
その後の捜索で、押しつぶされた官舎から乳飲み子とそれを抱く母親の
遺体が見つかり、この幼子を抱いた母親の像が建立されたそうです・・・。
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拙ブログとしましても、過去ペースでの新たな記事の掲載が難しく
申し訳ありませんが、過去の散策記事を再掲載させて頂く事にしました
尚、数年前まで掲載写真のサイズが小ぶり(320*240)でしたので
再編集しまして、現在のサイズ(800*600)に揃える形にします
また文章も、現状に沿わない場合、変更しての掲載とさせて頂きます
第4弾は、季節感はずれますが、似通った気候だった
2013年9月21日の群馬県への日帰り散策です
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サムネイル化した写真・地図をクリックして頂くと
大きめのサイズの写真が別に表示されます
文章内、〇〇は別写真等にリンクさせています
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「碓氷峠界隈を散策」(再)のトップ記事はこちら
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1973年の自転車旅行の時の話題は茶色の文字で
1996年の軽井沢から徒歩で下った時の話題は緑色の文字で
今回の散策の時の話題は、この文字色で綴ります
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「第10号トンネル」を抜けた所が、旧「熊の平」駅です
SLの時代、「横川」と「軽井沢」のほぼ中間地点のここ(当時は信号所)で
給水、給炭を行うために設置。また一部区間が単線だったため
上りと下り列車の行き違いも行われたそうです。
横川側から構内に入ったすぐの所にある「熊の平殉難」の碑
昭和25年6月、記録的な豪雨の中、10号トンネル付近で
大規模な土砂崩れが発生(人的被害は無し)
しかし、その翌日、復旧作業中に、再度の土砂崩れが発生。
復旧作業中の職員や熊ノ平駅にあった官舎に住んでいた、
その家族たち、合わせて50人が亡くなったそうです。
その後の捜索で、押しつぶされた官舎から乳飲み子とそれを抱く母親の
遺体が見つかり、この幼子を抱いた母親の像が建立されたそうです・・・。
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2020.05.27 ▲
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