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文章内、〇〇は別写真等にリンクさせています
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180616141304
この、真っ直ぐに伸びた道・・・この景色は
子供の頃に見たものと変わりません
子供の頃は、宮城県加美郡宮崎町・・・という地名だったかと。
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この、真っ直ぐに伸びた道・・・この景色は
子供の頃に見たものと変わりません
子供の頃は、宮城県加美郡宮崎町・・・という地名だったかと。
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通り沿いの家並み・・・
外壁等、新しそうな雰囲気ですが、構造は昔のままに感じます
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祖母の家は、真っ直ぐな通りの奥の方でした
この辺りまで来ると、入り口付近の造り・・・記憶にあるような。
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道の駅?・・・この施設は無かった施設
でも、これだけのスペース、昔は何が建っていたっけ
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180616142011
法事の後、会食を行う会館に・・・。
調理場を覗くと女性の方が
事前に荷物を置かせて貰うこと、快諾して頂きました
これで身軽になれます

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「宮崎上町」の停留所の場所は、昔のまま
そして、このガソリンスタンドも昔からありました
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家並みの一番奥に着きました。
道端には、住民バスが駐車中
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家並みが切れて、水田が広がるのは変わりません
そして「薬莱山」の形も昔のままだけど
麓付近の伐採?された斜面はありませんでした
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住民バスの脇、ここは神社の入り口があったのだけど・・・。
石碑が集められています?
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境内があった所に入ると・・・
「入り口」の標識と台座だけ新しくなった祠が放置されています
その先、ずっと続いてた参道は無くなり、立入禁止の雑木林に・・・。
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メインストリートに並行した、裏側の道
祖母宅からも小川を隔てて見えていました
当時は砂利道で人が通れる程度の幅でしたが・・・。
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180616144231
小川は整備されています
簡単な堰き・・・あそこに板を通して、流れを止めて
洗濯に使っていたのかも
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180616144419
あちこちに大きな鯉の姿
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180616151542
メインストリートに戻ります
店先で焼き物をしている親父さんの姿を見つけて、
ちょっと話しかけてみると・・・
ここに在住54年
祖母宅のそばにあった映画館の事も知っていました
(その跡地に建つのが、翌日、法事後の会食を行う会館で
その経営者の親父さんでした)
と、なると、先程、荷物を預けてもらえるかお願いした方が奥さん
なんたる偶然・・・
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180616143227
子供の頃はこの側溝に蓋はなく、板を挟み込み流れを止めて
スイカを冷やしたり・・・。
映画館では、「四谷怪談」とか恐い映画をやってたとか、
冬場は、雪が積もったこの道でスキーをしたとか、
親父さんもその事を覚えていて・・・
年が近い私と、もしかしたら一緒に遊んだのかも、と
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180616143822
記憶に残っている竹藪・・・
亡くなった祖母、叔父、そして今回、納骨する叔母とも面識があって
叔母が亡くなった事、とても驚いていました
偶然、昔を知る方に会えて、訪れた甲斐がありました
・
訪問日:2018年06月16~17日
つづく(全12回)
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2018.07.07 ▲
なんだか懐かしくなって胸が熱くなりました。
子供の頃の父や母の実家は、家の脇の堀に排水から流れてくるごはん等を目当てにした小魚がいっぱいいましたね。
スイカを冷やしていたのも同じですねぇ。
私の両親の実家は宮城の県南部ですが、ほとんど同じです。
昔は雪も結構積もっていたような気がしますねぇ。
子供の背丈からは大きく感じていたスベリ台を雪で作って、夜に水をかけておくと、朝にはツルツルと良く滑る滑り台になってましたねぇ。
舗装されている道路を見たことが無かった時代。
よく転んで、膝小僧は傷だらけでした。
履物が無かったわけじゃないけど、はだしで走って遊んだことも多かったなぁ。
川もはだしでドジョウやフナッコを取っていたなぁ。
それでも足に刺さるものもほとんどなくケガをしなかった。
街灯というものもほとんど無くて、真っ暗な中で見上げる星空はとてつもなくきれいでしたね。
まだあまり走ってなかった車が通ると、埃がいっぱい舞って、舗装されたときは便利だなぁと思いました。
そしてうちの孫たちは…土で遊ぶ機会がほとんどなく育っています。
私たちの世代には、みんな同じような思い出があるんですけどねぇ。
子供の頃って親の苦労もあまり感じず、守られてのびのび遊んで、…それがすごく幸せなことだったんだなぁ…と、親兄弟もこの世を去ってしまった今は噛みしめています。
幼い頃の幸せな光景や、わが子たちが小さかった頃の大家族だった日々の幸せをたどりながら、この瞬間も妻や娘たちにいつか良い思い出として残るようにと願って、相変わらず、この路を歩き続けています。
ほんとに懐かしいですねぇ。
いつも悩みを抱えていても、振り返ると意外と幸せな思い出があるのが人生ですねぇ。
よい思い出を有難うございます。
子供の頃の父や母の実家は、家の脇の堀に排水から流れてくるごはん等を目当てにした小魚がいっぱいいましたね。
スイカを冷やしていたのも同じですねぇ。
私の両親の実家は宮城の県南部ですが、ほとんど同じです。
昔は雪も結構積もっていたような気がしますねぇ。
子供の背丈からは大きく感じていたスベリ台を雪で作って、夜に水をかけておくと、朝にはツルツルと良く滑る滑り台になってましたねぇ。
舗装されている道路を見たことが無かった時代。
よく転んで、膝小僧は傷だらけでした。
履物が無かったわけじゃないけど、はだしで走って遊んだことも多かったなぁ。
川もはだしでドジョウやフナッコを取っていたなぁ。
それでも足に刺さるものもほとんどなくケガをしなかった。
街灯というものもほとんど無くて、真っ暗な中で見上げる星空はとてつもなくきれいでしたね。
まだあまり走ってなかった車が通ると、埃がいっぱい舞って、舗装されたときは便利だなぁと思いました。
そしてうちの孫たちは…土で遊ぶ機会がほとんどなく育っています。
私たちの世代には、みんな同じような思い出があるんですけどねぇ。
子供の頃って親の苦労もあまり感じず、守られてのびのび遊んで、…それがすごく幸せなことだったんだなぁ…と、親兄弟もこの世を去ってしまった今は噛みしめています。
幼い頃の幸せな光景や、わが子たちが小さかった頃の大家族だった日々の幸せをたどりながら、この瞬間も妻や娘たちにいつか良い思い出として残るようにと願って、相変わらず、この路を歩き続けています。
ほんとに懐かしいですねぇ。
いつも悩みを抱えていても、振り返ると意外と幸せな思い出があるのが人生ですねぇ。
よい思い出を有難うございます。
2018/07/07 Sat 01:26 URL タヌキ親父[ Edit ]
>タヌキ親父さん
おはようございます^^
コメント有難うございます~
私自身は東京生まれの東京育ちで、宮﨑町は母の故郷なので
厳密に言えば「田舎」とは言えませんが、昔から田舎へ行くとか
田舎に行ったと普通に話していました。
幼い頃から小学生時代、毎年、夏休みを中心に訪れていたので
自分の田舎のつもりだったのだと思います^^
2週間程度は滞在していたので、地元の子とも友達となり、
花火をしたり、盆踊りに連れて行ってもらったり・・・記事内にも
あるように映画館が有って、夏休みこども大会と銘打った
シリーズをよく見に行った記憶があります
今の時代だと危険ってなるのでしょうが、道脇にあった
側溝も遊び道具の一つ。
板で流れを止めて、プール代わりに浸かってみたり、ボールを
流して、どこまで流れていくか試したり^^
それと、記憶の中でポイントのひとつが、何枚か写真にあげた
「薬莱山」でした。
町のどこからでも見える山・・・薬莱山を見ると、田舎に
来たんだって思いを強く感じさせてくれました。
自分の中では宮﨑町と切っても切れない存在です^^
子供の頃は毎年訪れていましたが、昨今は、15年とか
30年とか、振り。
でも、また行ってみたいという思いはずっと残っていました。
今回、時間を作って、町を巡ってみて、忘れかけていた記憶を、
新たに頭の中に記録として残せたのも良かったと思います^^
コメント有難うございます~
私自身は東京生まれの東京育ちで、宮﨑町は母の故郷なので
厳密に言えば「田舎」とは言えませんが、昔から田舎へ行くとか
田舎に行ったと普通に話していました。
幼い頃から小学生時代、毎年、夏休みを中心に訪れていたので
自分の田舎のつもりだったのだと思います^^
2週間程度は滞在していたので、地元の子とも友達となり、
花火をしたり、盆踊りに連れて行ってもらったり・・・記事内にも
あるように映画館が有って、夏休みこども大会と銘打った
シリーズをよく見に行った記憶があります
今の時代だと危険ってなるのでしょうが、道脇にあった
側溝も遊び道具の一つ。
板で流れを止めて、プール代わりに浸かってみたり、ボールを
流して、どこまで流れていくか試したり^^
それと、記憶の中でポイントのひとつが、何枚か写真にあげた
「薬莱山」でした。
町のどこからでも見える山・・・薬莱山を見ると、田舎に
来たんだって思いを強く感じさせてくれました。
自分の中では宮﨑町と切っても切れない存在です^^
子供の頃は毎年訪れていましたが、昨今は、15年とか
30年とか、振り。
でも、また行ってみたいという思いはずっと残っていました。
今回、時間を作って、町を巡ってみて、忘れかけていた記憶を、
新たに頭の中に記録として残せたのも良かったと思います^^
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