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国内最大のタンク式蒸気機関車、E10形
福島県と山形県の県境、奥羽本線・板谷峠を越えるため
1948年に登場した蒸気機関車

この模型は、その奥羽本線「庭坂機関区」配置時のタイプ

運用開始の翌年に電化されて、九州・肥薩線の矢岳越えに転用されましたが
大型すぎて、D51に置き換えとなり、北陸本線・倶利伽羅越えに転用

しかし、1955年、新倶利伽羅トンネルが開通し、滋賀県・米原機関区に転属

直流-交流の接続区間に存在したデッドセクションで牽引という、
本来の急坂登攀とは異なる寂しい運用で終焉を迎えます

製造車両は僅か5両、運用期間は14年と非常に短く
「悲運の機関車」とも呼ばれました
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形式に付くアルファベットは、abc順に動軸の数を示し、「E」は、5軸

車輪には脱線防止用にフランジという出っ張りがありますが、
5軸が一直線となった状態では曲線通過が難しく、第3、第4軸にはフランジがありません

模型では、第3軸がフランジレスに・・・。
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前輪のレール内側に見える出っ張りがフランジ
フランジレスの車輪は、この出っ張りがなくフラットな踏面となっています
(実車の写真はこちら

この「E10-3」は1948年3月新製、6月、庭坂機関区に所属。
で、使用開始

「E10」の走行シーンは実際に見た事は有りませんでしたが
勾配用という力強いイメージと、短期間で走り去ったという不遇・・・
そういった事に何か、人生にも似た特別な感傷を抱き、魅かれたような気がします

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翌1949年5月、九州・人吉区に転属するも、肥薩線で使用不適となり
11月に北陸・金沢区に転属。倶利伽羅越えの補機として使用開始

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1957年、米原区に転属、交流と直流区間の間のデッドセクション専用機として運用開始

1961年4月、休車、1963年2月、廃車・・・最初の製造から15年という短い一生

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製造が5両のみ、廃車も早くて、現在、実機を見る事が出来るのは
1962年4月に休車となった後、保存のため、大宮へ移動した2号機のみ。

一昨年6月に、その2号機を見に「青梅鉄道公園」を訪れました

その:伊豆急100形

この後も、不定期で更新します
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2019.01.11 


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