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国鉄キハ57系気動車

製造は1961、62年(昭和36、37年)
形式と製造数は、キハ57が36両、キロ27が7両

同じ1961年に登場し、全国区となった「キハ58」系急行用気動車と
構造、エンジン、客室装備は共通ですが
台車が特急型と同じ空気バネ式でディスクブレーキを装備

唯一、信越本線、碓氷峠(横川-軽井沢)のアプト区間を通過できる
急行用気動車として製造されました

キハ57はエンジンを2基、キロ27は1基装備

模型は、キハ57+キロ27+キハ57の3両編成です

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使用されたのは、上野-長野の急行「志賀」と「丸池」(1961年7月)

「志賀」、「丸池」はキハ5両とキロ1両の6両編成

翌年、長野電鉄に屋代線から乗り入れて、湯田中まで運転
「キハとキロ」で組んだ5両編成が長野、「キハ」のみ2両編成が湯田中行き


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緑帯のキロ27(今のグリーン車)

窓は2連式タイプ

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3か月後の10月(1961年)からは、「とがくし」(上野-長野)、「ちくま」(大阪-長野)にも運用

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しかし、「志賀」「丸池」として走り出して、僅か2年で、上野-長野間全線の電化完了
横川-軽井沢間のアプト式も廃止となり、キハ57系の特殊性が消滅


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共に碓氷峠を越えるために製造された、キハ57とEF63

その連結シーンは実際に有ったのかは不明ですが、
EF63のジャンパ栓(連結するための装置)には
「キハ57」と記載された端子がありました


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急行「志賀」には乗車した事がありました

残念ながら、電化後の169系急行型電車(3両編成)・・・多分、「信州」との併結

「屋代」駅で分割して、長野電鉄「屋代」線に乗り入れて、「湯田中」まで
そのルートは、DC急行「志賀」と同じ筈です


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長野電鉄「屋代」線が廃止となってしまい、JR線から長電への乗り入れは
現状では無いようですね

車両の移送も、最寄からトレーラー輸送になったとか・・・


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1965年、キロ27が冷房化、1970年台にキハ57が冷房化

碓氷峠通過の特殊性を失い、
いわゆる汎用型急行用気動車の「キハ58」と共通運用となり
1974年以降、中込(小海線)、美濃太田(高山本線)、
名古屋(紀勢本線・関西本線)、高松(四国内)での使用開始

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1991年10月、引退・廃車
全車解体

その22:小田急3000形
その21:E351系
その20:小田急9000形
その19:6050系
その18:583系
その17:北越急行683系8000番台
その
16:383系
その
15:東武1700系
その
14:京王5000系
その
13:EF63形
その
12:キハ181系
その
11:名鉄キハ8000系
その10:キハ85系
その
:西武E851形

その
:北越急行HK100形
その
:キハ183系500番台
その
:DD54形
その
:EF57形
その
:名鉄キハ8500系
その
:EF71形
:E10形
その
:伊豆急100形


この後も、不定期で更新します/
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2019.08.18 


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