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現在、東急「世田谷線」として路線が残っています
しかし元々は支線で、本線が廃止となったのは、昭和44年
その8年後の昭和52年、その路線を踏襲・地下化して開通したのが「新玉川線」
「渋谷」から「二子玉川(園)」まで、地上を走る「玉川線」を見た記憶があるのは
50代半ば以上の方でしょうか・・・。
登場したのは、昭和30年・・・当時の老朽車両の近代化を図った車両です
「東急デハ200形電車」・・・その丸っこい車体から
「ペコちゃん」(不二家の)、「イモムシ」のあだ名で呼ばれました
竣工時、私はまだ生まれてなく、居住も城北地区だったので、接する機会は乏しく
親に連れられて、渋谷方面に出かけた際に見かけたのみでした
でも、当時は国鉄・私鉄を問わず、角張った車体の車両ばかりの中
丸味を帯びた車体は、子供心にも印象が残ったものでした
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特徴は見て判る通り、「低床」、「2車体連接車」、「1軸台車」
「連接」、「一軸」は、スペインの高速列車「タルゴ」を彷彿とさせるスタイルです
線路幅は1372mm、現在の都電と同じです
元々が都内・千代田区方面へ多摩川の砂利輸送が目的だったので
都電(当時の東京市電)の路線に乗り入れられるように同幅になったとか・・・。
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車輪の直径は510mm、床面の高さは590mm
比較として、現在の一般的な電車ですと、車輪の直径は810mm、床面の高さは1130mm
・・・「デハ200系」の床の位置より倍近くの高さです
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連接部の「1軸台車」
双方の車体がどのように関わっているのか、興味津々ですが・・・よく判りません
実車では、連結部に灰色の外幌(のように見える)が付いていますが
模型では塗装された内幌になっています(走行上、支障があるのかな)
実車が保存・展示されているので、見に行ってきましたが・・・。
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下ぶくれしたようなユニークな形で、大きな窓の先頭部です
運転台は左側(奥)の窓部分、右側(手前)の窓にはロングシートが
連なっていて、かぶりつきの前面展望席に・・・。
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パンタグラフが無い車体の屋根上に見える3つの蓋状のモノ
(実際には、左右並列で計6つあります)・・・抵抗器の通風機です
床下が狭いため、通常、床下設置する抵抗器が配置できず
天井と屋根の間に設置しているそうです
お客さんから見ると、頭上に暖房器具があるような状態・・・。
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全部で6編成が製造されましたが、保守に手間がかかったり、乗り心地も悪く
存続される「世田谷線」に移籍される事なく、廃車に・・・。
昭和30年入籍、昭和43年、44年に廃車となり、13~14年の短命車両でした
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ドア配置が左右、非対称だったのも特徴
先頭部まで座席がある手前側は、車体中央に両開きドア
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運転台の有る側は、運転台直後に片開きドア、車体後方に両開きドア
展示されている実車を見てきました→こちら
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その33:E353系
その32:257系0番台
その31:EF64形1000番台
その30:169系
その29:313系3000番台
その28:371系
その27:小田急2300形
その26:会津鉄道キハ8500形
その25:157系
その24:483系
その23:キハ57形
その22:小田急3000形
その21:E351系
その20:小田急9000形
その19:6050系
その18:583系
その17:北越急行683系8000番台
その16:383系
その15:東武1700系
その14:京王5000系
その13:EF63形
その12:キハ181系
その11:名鉄キハ8000系
その10:キハ85系
その9:西武E851形
その8:北越急行HK100形
その7:キハ183系500番台
その6:DD54形
その5:EF57形
その4:名鉄キハ8500系
その3:EF71形
その2:E10形
その1:伊豆急100形
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この後も、不定期で更新します

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