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国鉄「キハ55系」ディーゼルカー

1956年から1960年に486両製造された、準急形気動車
最高速度は95km/h、1987年廃車

模型は、1958年から製造された「4次車」(車番は101~270)
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現在も一部私鉄で使用されている列車種別の「準急」は
「準急行の略。ちなみに「特急」は「特別急行」の略

比較的、距離の短い区間運転や、急行より停車駅が多い列車に「準急」が
充てられましたが、東北本線の「日光」や九州地方の「ひかり」は、この「キハ55系」が
使用されて、対抗私鉄電車や客車急行を凌ぐ速達性を発揮したそうです

この「準急」種別、国鉄では1968年の時刻改正で消滅しました

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車体全体を淡い黄色、窓下と雨樋に赤い帯をまとった塗色で「準急色」と呼ばれました

キハ55系「4次車」から、、側窓が大型一段上昇窓に変更
(それまでは、スタンディングウィンドウ・・・所謂、2段式のバス窓でした)
エンジンも160馬力から180馬力に増強

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座席は当時の優等列車並みの大型のクロスシートでしたが、
運転台側の戸袋窓部分はロングシート

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車体中央部の他より広がった窓枠部分には
床下のエンジンから排気管が立ち上がっています

車内では、遮熱、遮音用の大型カバーに覆われていますが
左右それぞれ座席一人分ほどの幅を占め、大きな柱が立っている風に見えます

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連結面に、トイレ(右の車両)と水タンク(左の車両)&洗面台を配置

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太い窓枠部の屋根上に、排気口

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この「キハ55系」の準急色車両、都内では「見た事がある」程度の記憶です
「上野」駅や「日暮里」駅での常磐線列車、「両国」駅での総武線車両等々。

中央本線、新宿口でも、急行「アルプス」として運行されていましたが、
記憶にあるのは「急行色」に塗色変更された姿

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乗車した可能性があるのは、上野-仙台間を運行していた「急行 みやぎの」

何度かご紹介した事がありますが、
母の故郷が宮城県で幼い頃からよく訪れていました

東北新幹線が開通後は、新幹線利用ですが、
それ以前は、483系「特急ひばり」、「やまびこ」、
その前は、451系「急行みやぎの」や「まつしま」
その「みやぎの」が電車化されたのが1962年、その前はこの「キハ55系」での運行でした

しかし、キハ55系「みやぎの」から「急行色」に変更となったそうで、
準急色車両の乗車ではなかったようです

ただ、母の故郷へは仙台から東北本線で「小牛田」、陸羽東線で「陸前古川」駅まで乗車する
必要があったので、もしかしたら、現地の急行・準急で乗ったかもしれません
(「陸前古川」は現在の東北新幹線、陸羽東線の「古川」駅。
1980年に改称されましたが、個人的には「陸前古川」に馴染みがあります)

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1970年台前半から半ば頃、中学生だった頃か・・・
初めての「ひとり旅」で山陰・山陽方面を巡りました

当時は「周遊券」があり、「学割」も効いたので、廉価で旅する事が出来た時代でした

まず、夜行寝台「出雲」で「鳥取」へ・・・。
夜中、「福知山」付近で目が覚めて、編成最後尾の連結部窓から眺めていると
車掌さんから「もうすぐ、余部鉄橋を渡るよ」と教えて貰ったり・・・。

早朝の「鳥取砂丘」を訪れた後、島根に移動・・・
「一畑電車」で「出雲大社」方面を巡り、「大社」や「日御碕灯台」を訪れました
当時の「一畑電車」は木造で、正直、その古さに驚いた記憶があります

そして、その夜、2晩連続の夜行となったのが、急行「ちどり」
「松江」と「広島」を結ぶ、夜行ディーゼル急行でした
(この「ちどり」、キハ55が連結されていた時期がありました)

「ちどり」は山陰本線の「宍道駅」から木次線に入り、中国山地の奥へ。
「備後落合駅」から芸備線に入り、「広島駅」へ至る列車でした

現在の木次線、駅によっては1日3往復の超過疎路線ですが、当時は
この急行「ちどり」が夜行を含め、4往復も走っていました

その後、映画「砂の器」を見て、「亀髙」駅を訪れてみたいと思ったのですが
そこに至るまでの列車、さらに抜け出すための列車が乏しくて・・・
未だ再訪には至っていません

乗車したのが夜間で、厳密に見た訳ではないのですが、
裾を絞ったキハ58系とは異なる、フラットな車体でデッキ付き・・・
それが印象に残っていました

夜中に目覚めた時、車内照明に路線の雪が照らされて、すごい所を走っているなあと思いつつ
早朝5時に「広島」に到着、その足で市電・フェリー経由で「宮島」へ。

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山陽地方に出た後は、「尾道」の両親の知人宅に数泊させてもらいました

その間、尾道市内は勿論、乗り降り自由の周遊券を駆使して、倉敷や岡山まで巡りました

夜は、知人のおじさんに人生初めてのまともなお酒をごちそうになりました
子供用の甘いワインは飲んだ事ありましたが、この時、出されたのが、ウィスキーのロック

脇に水を入れたグラスを準備する、本格的な飲み方

尾道の海で採れた、ツブ貝やシャコがおつまみ・・・
当時、中学生か高校生でしたが、既に時効って事で。

帰路は、「山陽新幹線」開通直後頃で「岡山」から新幹線の利用

丁度、京都旅行をしていた、同級生たちと車内でおちあい、
滅多にないからと、ビュッフェで「ビーフシチュー」を食べた事が
しっかり記憶に残っています

値段は700円位だったような記憶
今ならすごく安いですが、当時はかなり勇気が要る価格・・・

新幹線ではありませんが、食堂車メニューで
ビーフステーキ定食が700円、鰻ご飯が500円、単品のスパゲティが200円・・・
JR(当時は国鉄)の初乗り運賃が30円の時代です

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「キハ55系」は残念ながら、保存される事無く、全車、廃車になったそうです

ただ、イメージとして・・・
「ひたち海浜公園」を訪れる際、何度か利用した「ひたち海浜鉄道」

その終点「阿字ヶ浦」駅構内に保存されている「キハ2005」(急行塗装)
国鉄「キハ22」と同タイプですが、運転台窓上の前照灯脇にタイフォンが配置され
「キハ55系」に似た正面姿になっています(記事はこちら

その79:DE10形+貨車
その
78長野電鉄2000系
その77:国鉄旧型客車
その76:EH800形
その75:EH500形3次形
その74:200系H編成
その73:400系
その72:伊豆急100形
その71:DF200形0番台
その70:EF200形
その69:EF510形
その68:EH200形
その67:JR500-7000系ハローキティ
その66:JR500-7000系(TYPE EVA)
その65:西武4000系
その64:小田急5200形
その63:キハ110系
その62:115系2000番台
その61:クモユニ143形
その60:小田急3100形
その59:阪急2800系
その58:キハ181系
その57:DF50形
その56:DD51形500番台
その55:EF62形
その54:583系
その53:E3系0番台
その52:583系
その51:383系
その50:キハ82系
その49:キハ183系500番台
その48:キハ283系
その47:箱根登山鉄道モハ2形
その46:E6系
その45:W7系
その44:500系
その43:近鉄12200系
その42:キハ85系
その41:451系
その40:小田急3000形(SE車)
その39:651系
その38:西武30000系
その37:E657系
その36:ED75形700番台
その35:近鉄10100系
その34:東急デハ200形
その33:E353系
その32:257系0番台
その31:EF64形1000番台
その30:169系
その29:313系3000番台
その28:371系
その27:小田急2300形
その26:会津鉄道キハ8500形
その25:157系
その24:483系
その23:キハ57形
その22:小田急3000形(SSE車)
その21:E351系
その20:小田急9000形
その19:6050系
その18:583系
その17:北越急行683系8000番台
その16:383系
その15:東武1700系
その14:京王5000系
その13:EF63形
その12:キハ181系
その11:名鉄キハ8000系
その10:キハ85系
その:西武E851形
その:北越急行HK100形
その:キハ183系500番台
その:DD54形
その:EF57形
その:名鉄キハ8500系
その:EF71形
その:E10形
その:伊豆急100形

この後も、不定期で更新します/
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2021.06.19 


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