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20220522101550
JR「身延」線、「ふじかわ4号」は「沼久保」駅を通過し、北向きに進行中

東(右)側に広がる、丘陵地はさほど高くは無い感じですが
列車はここを避けるように迂回していきます
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「沼久保」駅手前から北へ向きを変えて、大きく右カーブ
「富士宮」駅を経由して、「富士」駅に向かっています

「富士宮」駅付近の地形は、富士山・大沢崩れの扇状地が
広がる平地なのだそうです。

通常、迂回するルートを取る理由で最も多いのが、勾配の緩和なのですが
「沼久保」駅(標高113m)から、北に向かうにつれ、標高が上がり160m越え

その後、下り坂になり137m、「西富士宮」駅(125m)、「富士宮」駅(122m)と
辿るので、一概に勾配の緩和とは言いがたいかも・・・。

次に考えられるのが「富士宮」駅を経由する必要性が有った事

現在では「身延線」の主要駅ですが、路線の計画時は「身延山参拝客」輸送と
「甲府」とを結ぶのが主な目的であったようで、
特に「富士宮」に固執した訳でもなさそうです

計画時は「富士川」の右岸ルート(起点は興津駅)と左岸ルート(起点は富士駅)が
あったそうですが、選ばれたのは左岸ルート
さらに、現在の「富士宮」駅まで開通していた馬車鉄道を買収して、延伸する
方法が取られたようです(ここで「富士宮」が出現しました)

ただ地図を見ていると、「下久保」駅手前で「富士川」右岸側に渡り、
現在の県道10号沿いに南下し、東海道本線「富士川」駅に接続する
ルートもありなのでは?とは思うのですが・・・。
(その場合、静岡駅に向かうための富士駅でのスイッチバックも解消)

しかし、「身延」線全体のルートを見ると、「富士川」を渡る橋が
ひとつも無い・・・一度も「富士川」を渡らないのです

三大急流のひとつと言われた「富士川」に橋を架ける事を恐れて
岸の片側に固執、さらに馬車鉄道経路との接続で、こういう不思議な
ルートになったのかな?と思ったりしています

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20220522101924
丘陵の狭間を抜けて「富士宮」市街が見渡せる位置へ・・・。

奥の雲の中に「富士山」がそびえているのでしょうか?

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20220522101958
でも、「富士山」が隠れるような雲塊は、もっと厚みがあるのではないでしょうか?

この方角ではないのかな?

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20220522102238
グルリと半周して、平地部に下りてきました

右側に見える丘陵地から下ってきたのだと思います

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20220522102332
「ふじのみや」と言えば、「富士宮やきそば」が有名ですが

「富士山本宮浅間大社」の所在地でもあります

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20220522102803
「第二東海自動車道」(新東名高速道)をアンダーパス

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左カーブをして「富士」駅へ・・・。

「東海道本線」と合流します

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10時34分、定時で到着

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「ふじかわ」はここで向きを変えます

宗教団体の臨時列車の増大と踏切解消のため1969年に現路線に
移設される前は、東京寄りから「富士」駅に接続されていたそうです

と、言う事は、元々は「静岡」向きになっていたのを
諸般の事情であえて変更させたって事ですね

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「身延」線計画時の「右岸」プランは、地図左の国道76号線に沿って「興津」へ向かう
ルートだったようですが、山間地を通過するため、かなりの難所になったかもしれません

一方、「左岸ルート」も「富士宮」へ迂回するので距離が伸びてしまいました
「東海道本線」に接続するのであれば、右岸の「県道10号線」沿いで
「富士川」駅付近に抜けるのも(一部、トンネル開削が必要ですが)
一案になるかと思いますが、川の改良が済むまで「富士川」には
橋梁を架けない前提があったならば、致し方なかったのかもしれません

訪問日:2022年05月22日
つづく
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