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1924年(大正13年)に完成した「岩淵水門」です

それより前1910年に発生した大洪水で下流側の下町が冠水
150万人が罹災したそうです

そのため、この「岩淵水門」で下流に流れる水量を調節、
さらに、新たに全長22kmの「放水路」を造り、東京湾に流しました

建設当初の「水門」とは形が異なっているそうです
地盤沈下で「水門」自体も沈下、ゲートを継ぎ足す等の
改造が行われたのが現在の姿、だそうです

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「岩淵水門」の流路前に立つポール

過去の洪水時の水位が記されています

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過去92年間での最大水位は8.6m・・・建物だと3階規模ですね

最近では、令和元年10月13日、台風19号の襲来時です
長野県で、北陸新幹線が水没した写真がショッキングでした
・・・その時の台風だそうです

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最大水位の時は当然ですが、令和の洪水時も
遊歩道付近の河川敷は水中に没していたようですね

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現在は「旧岩淵水門」と呼ばれています

私が小学校低学年時代、「区内巡り」という遠足で訪れた時は
まだ「岩淵水門」と呼ばれていました

更に、現在の「荒川」は、「荒川放水路」、
現在の「隅田川」が「荒川」でした

なので、「河川法改正」で、「荒川放水路」が「荒川」に、
「荒川」が「隅田川」と呼ばれるようになって、混乱した記憶があります

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開いたゲートの奥に見えるのが「新岩淵水門」

1982年(昭和57年)に完成


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現在の「旧岩淵水門」は水門としての機能は無く
歴史的価値として、保存

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「東京駅丸の内駅舎」(大正3年)が煉瓦造りだった大正時代には
珍しく、鉄筋コンクリート製

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近くに寄ると、巨大な設備です

この堰堤上を、サイクリングやランニングを楽しむ方が数多く、通過

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地図を見て、判ったのですが・・・埼玉県と東京都の県境が
この緑地帯にかかっていました

てっきり、荒川中央部が県境と思っていたのですが
一時、埼玉県を歩いていたようです

訪問日:2024年02月03日
つづく(全11回)


本日、1泊で飛騨高山へ参ります
そのため、お伺い、お返事等、遅れます事、ご容赦ください


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